私はゲストプロと写真を撮っても撮らなくてもいい

2026/8/16

幼少のみぎりから、写真を撮られるのが好きではなかった。これは自分の顔の造形が特段好きではないことに由来する。
さらには、写真を撮ることも好きではない。思うに、写真を撮るという趣味は(私の趣味である)絵を描く趣味と同程度に非一般的だったはずであるが、携帯電話に偶然付随したカメラという機能によって一般的な行為に昇格しただけであって、現代の人類は写真を撮りすぎている。

それでも特段困ることはなかった。私には、友人に近況を喋る際にも写真を補って余りある言葉があったし、一般に他人の写真を希望する人間というのはある程度被写体と関係があり、つまり私の写真嫌いを知っていたからだ。さらに私も精神的おとなになるに従い、他人の希望を無下にしてまで被写体を断るほどでもないと柔らかい思想を得るに至った。

困ったのはリアル麻雀を始めてからであった。
一般に麻雀大会では、ゲストと共に写真を撮る時間が設けられる。私にはそれが苦痛だった。
前提として勿論、いりませんと言えばいいのである。でも、この時間が参加者個々とコミュニケートする時間を兼ねているためなんとなく損した気分にもなるし、運営に気を使われるし、それを断ることによって万が一ゲストプロになんらかの負の感情を抱かれるのは嫌だったのだ。
それで私は、本当はいらなかった写真を撮ってもらうことにしていた。私の写真嫌いは中々の筋金入りで、写真が自らの携帯電話に保存されるのも嫌だった。魂が吸い取られるからね、というのは冗談だが、そんなに重いものが形で残って欲しくないのである。そしてそれをわざわざ消すという行為も嫌だ。それを消すことで重いものであると認めるようであるから。大体同等の理由でサインもいらない。あなたを眺め、できれば一緒に麻雀を打てれば他に何もいりません。

でも最近、写真いらないですと言えるようになった。
今日は斎藤豪プロらの主催の大会で、1卓から順番に呼ばれて写真を撮る形式だから、いらないですと言うとどうやってもワンステップ「いらないの?」という確認があるが、そうであってもいらないですと言えた(順不同で撮影がある場合は隅っこにいればスルーされるのでありがたい)。
私はこれをとても嬉しいことと思った。写真を撮ろうが撮るまいがどうせコミュニケーションはできたりできなかったりするし、運営は多分気にしてないし、ゲストプロを応援している気持ちは俺がこの場にいることで伝わってくれよと、ようやく思えるようになったのだ。
念のため断っておきたいが、毎回写真を拒否している訳ではない。今日のことばかり例に出すが、襟川プロに「SNSには出さないので、一枚一緒に撮ってくれませんか?」と尋ねられ、瞬間何故? と思ったが、恐らくは参加者の顔を覚えるためであろう。なんて健気なプロ意識だろうか。前述の様、他人の希望を無下にしてまで被写体を断ることはしない主義であるのでピースなどをさせていただいた(私の携帯にデータが残る訳ではないしね)。もっとわかりやすい例では、後々漫画の資料にするため撮影に参加させてもらうこともある。
つまり写真を撮ってもらうのもいらないと言うのも私の自由だ。のろのろとリアル麻雀を始めて4年程経ち、いまだ点数もまともに申告できないが、私はここに心理的安全性を確保したのだった。